全国菜の花サミットとは

1970年代の市民運動が原点

1970年代、琵琶湖の水質汚染問題を契機にして、滋賀県を中心に「廃食油を回収して石鹸にリサイクルする」という市民運動が広がります。1990年代前半から「廃食油をディーゼルエンジンの燃料に活用」することに活動が進化し、さらに全国に運動が広がりました。1990年代後半からは「菜の花栽培を中心にBDF・バイオガスエネルギーなどを活用した資源循環サイクルの構築」を目指し「菜の花エコプロジェクト」がスタートします。その後、活動は全国に広がり、地域それぞれの個性的な「菜の花プロジェクト」が展開されています。

 

全国の菜の花プロジェクトが集結 定期的な大会開催を宣言

2001年4月、全国の「菜の花プロジェクト」が滋賀県新旭町に集い「菜の花サミット2001」が開催されました。同大会で「サミット宣言」が採択され、その中で「菜の花サミットの定期的な開催」が宣言されます。以後、毎年4月に全国もちまわりで「全国菜の花サミット」は開催され2016年(第16回)やまと大会(奈良県桜井市他)に至っています。福島県では2012年(第12回大会)が須賀川市において開催され、2017年(第17回)は福島県南相馬市での開催が決定しています。

 

全国菜の花サミットのコンセプトとは
地域特性を活かしたコンパクトシンプル資源循環型の社会づくり」を目指した全国各地の「菜の花プロジェクト」の仲間が年に一度集い、各々の活動の報告・交流を行います。全国の仲間が体験で得た知恵・知識を共有し、その知見を「サミット宣言」として全国(世界)に向けて発信します。さらに地域市民主導自発的・自立的・草の根的菜の花プロジェクト」の活動を一層進化させるため、政治、行政、企業、学術機関とのパートナーシップ(協働)を目指します。

 

○福島県相双地区 南相馬における菜の花サミット開催の意義・目標とは

世界的な地域課題を持つ相双地域 市民主導の復興運動の種が蒔かれた
南相馬市を含む福島県浜通り相双地域は2011年3月11日発生の東日本大震災により地震・津波・放射能・風評被害という世界にも類を見ない複雑で複合的な地域課題を持つ被災地です。しかし震災後5年の間に当地域では市民の自発的・自立的・草の根的な様々な「市民主導の復興運動」が芽吹き始めています。「相双 菜の花プロジェクト」「農業・畜産の再生」「市民による放射能防護」などこれら当地域の市民活動が歩んだ5年の知識と経験を全国の仲間と共有し、次世代へとつないでいく契機となることが「全国菜の花サミットin南相馬2017」の意義・目標です。
若い芽をはぐくむ段階へ 「草の根」から「協働」へ
全国菜の花サミットのもう一つの目標はこれらの「草の根的」市民活動に対する政治、行政、企業、学術団体などからの理解・支援を得るだけでなく、パートナーシップを構築し「協働」する契機となることです。そして南相馬市内開催でのサミットではありますが、ここで紹介される市民の連帯による運動は「相双なのはなプロジェクト」として市の行政単位を超えて広く相双地域や福島県内各地、全国被災地に向けて、地域復興・再生希望と勇気を届けていける場になることを期待しています。